スパイダーマン、彼はクリスチャン?
スパイダーマンは、ピーターという人物ですが、ピーターは英語読みであり、実は日本語ではペテロです。バイブルの中のペテロは、イエスキリストの筆頭弟子で12使徒のリーダーです。ですから、このピーターという名前の人は、ジョンやポールと同じようにたくさんいるわけです。ピーターラビットなんて
うさぎの名前ですが、ピーターはよく使われます。ですから、主人公の名前が非常に聖書的な名前なのです。さらに、映画のシーンでは、食事の前にお祈りするシーンが出てきますから、彼らはクリスチャンなのですね。適役のゴブリンが、おばさんを襲うシーンが出てきますが、寝る前にベッドで祈るところがあります。ここでは、おばさんが、主の祈りを祈っているという設定です。この主の祈りとは、イエスが
12弟子に祈りを教えてくださいと言われた時に、教えた、バイブル的には重要な祈りです。ですから、
おじさんやおばさんは、敬虔なクリスチャンだったということであると思います。
そういったわけで、この映画には、登場人物にクリスチャンの日常の様子が出てくるわけです。
そして、クリスチャン的、バイブル的な考え方が、ストーリーに入っています。
自分が自己中心的に見逃した強盗が、実はおじさんを殺した犯人と気づいてから、自分のその自己中心的な歩みを悔い後悔して、悔い改めていく姿勢を示すなど、まさにペテロが、イエスキリストの十字架の苦難の時に逃げたことを悔い改めて変えられて行った事柄に似ています。
またこんなこともあります。オズボーンが、ゴブリンとなって敵として活躍しますが、オズボーンは息子を愛するお父さんであります。そして、最後の最後に、スパイダーマンに負けて死に際に、息子には自分が、ゴブリンという悪しき怪人であったことを、言わないように頼むシーンなどは、人間の複雑さを描いているように思います。人が、単純ではなく、悪と善の間を揺れ動く人間像というのを聖書的に描いているように見えます。これは、「スパイダーマン3」でも、スパイダーマン自身が、揺れ動いてしまうことにテーマが似ています。
人は、必ず誰しも弱さを持った罪人なのです。ですから、ひとたび、自分の欲から、サタンの誘惑を受けるなら、超自然的な力を持ったスパイダーマンでも、オズボーンなるゴブリンでも打ち勝てない、その事実、が的確に描かれています。
我々は、神の憐れみと恵みによってしか、悪に打ち勝つことはできないのです。